さらさら

女性画を描いています。

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きらら_c透かし入り
退院から10ヶ月が経過しました。前回の記事で書ききれなかった事を、記憶が薄れる前に書き留めておこうと思います。この先また何か困難に出くわした時に、あの時はあんな感じで乗り切ったなと自らに力を与える記録となればと思います。

「緊張していますか?」。右眼網膜剥離の1回目の手術に向かう時看護師さんに聞かれ、自分でも意外なほど穏やかなのに気付きました。自己分析すると、この時既に白内障の手術は経験がある事、勿論白内障と網膜剥離では症状も処置も全然違いますが、目の手術がどんな感じなのか大まかにイメージ出来た事は少なからず不安を軽減してくれたと思います。それと、入院した眼科病棟には自分と似た様な境遇もしくは自分よりもはるかに深刻な状況の人が沢山居られ、自分一人じゃないという気持ちになれたのは非常に大きかったと思います。片方義眼でもう一方は目薬が効いている間だけぼんやり見え、その目を手術に来られている方、自宅でつまずいて転んで目を怪我した高齢の方、果物の収穫で枝が跳ねて目に当たった方、野球の自打球が目に当たった方など、想像するだけで痛いです。
 

いよいよ最初の手術です。手術中に急に動いたら危ないので、咳・くしゃみが出そうな時に知らせるナースコールの様なボタンを握ります。手術が始まったら途中でトイレには行けないので尿瓶が用意されています。手術は部分麻酔をしてもらうとは言え、どの程度痛いかなどは知る由もありません。患者の私に出来る事はただ黙して痛みに耐え、手術の進行を妨げない様にする事だけです。先生方は痛い局面が分かってあるので、そんな時は私が動かない様に私の上腕部から肩を体重を乗せてグッと押さえ付けられます。私は心の中で「ぐあっ!!!」っと叫んでいますが、声には出しません。中断して困るのは自分なのですから。しかし慣れと言うのは大したもので、手術の間に痛みに対する耐性が出来て来ます。今のはさっき程痛くはなかった!これぐらいなら大丈夫!となりました。突然ボタンの音が鳴り、「どうしました?」と聞かれ、「あ、あれ?・・・押したつもり無いです」。私は痛みに慣れて眠りそうになり、無意識にボタンを握り締めていたのでした。
 

無事1回目の手術が終わって就寝となりますが、当分はうつ伏せで寝る事となります。これは患部が眼球の上に来る様にする事で、眼球内に注入されたガスやオイルの浮力で押さえ付けて復位させる為との事。馬の蹄鉄の様に真ん中の部分の空いたうつ伏せ用の枕で寝ます。この体勢が人によっては脚腰等がかなり辛い様で、私も起床時間までぐっすり眠った事は一度もありませんでした。就寝中も看護師の方が2時間置きに見回りに来られるので、寝返りを打って仰向けになっていたりすると注意されて直されます。術後の経過観察の中で主治医の先生が治り具合を確認した上で、横向きで寝ていいよ、仰向けで寝ていいよとなります。私は再剥離が見つかり、急遽予定外の手術をする事になった為ずーっとうつ伏せ継続です。
 

追加された2回目の手術は、眼球内へのシリコンオイル注入と眼球の外側にベルトを施す事で挟みうちにして更なる網膜の剥離を防ぐというものです。予め先生から手術の説明がなされますが、今回の手術は眼球の周りにある筋肉を触るので痛いという事、4時間ぐらいを予定している事などが説明されました。これは有り難い事です。あとどれぐらいで終わるんだろう?と思いながら耐え続けるのはキツいですから。
 

かくして2回目の手術です。予め痛いと言われているので覚悟はしています。私は1回目の手術の時と比べて次々と更新される痛みに絶句しながらも、私に勇気をくれるものを思い浮かべる作戦を取りました。私の大好きな映画『RUSH』には、不屈のF1レーサー、ニキ・ラウダがレース中の事故で大火傷を負い壮絶な治療を受けるシーンがあります。あのシーン(実話)に比べたら、自分の眼の手術なんてどうって事ない!と思えましたし、また別の局面では元プロレスラーのアニマル浜口さんがマッチョポーズで「負けるかぁ!」と絶叫してくれて力をもらえました。痛みや苦しみを経験する事が多いであろうアスリートや格闘家などの方々の闘う姿や言葉は結構効きます。心の財産に助けられながら、憶えている限り私にとって今までで最も耐え抜いた数時間だったと思います。手術が終わった時は疲労困憊でした。
 

その後退院→再入院(予定の3回目の手術)→退院。現在は毎日の目薬と定期的な外来受診を続けています。目薬は強力なもので、目の周りの皮膚が荒れてヒリヒリ痛いですが、眼の状態を良好に保ち今より悪化させないようにする為には一生の付き合いとなります。手術した右眼の視力は失いましたし、見えている左眼も調子に波がありぼやけたりします。長らく女性画の新作も描けていませんが、現状を受け入れて焦らずやって行きます。ここまで長々と読んでくださりありがとうございます。マイペースで行きますよ^^



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2023(令和5)年明けて程なく、右眼の見え方がおかしく何やら黒い帯状の輪っかの一部のようなものが視界に被って見える状態になり、行き付けの眼科で網膜剥離との診断を受け、大学病院に即入院して手術となりました。こうなった原因、例えば夜中に明かりも点けずに柱に頭をゴツンとぶつけたとか、何かしらの出来事があったはずですが今となっては憶えていません。違和感を感じてすぐに見て貰えばよかったのですが、行き付けの眼科の次回受診予定日まで我慢してしまった為、結果的に大学病院の先生から、傷がだいぶ古くなっており眼圧が殆ど無く眼球が球体を成していないと言われました。本来網膜剥離はすぐに手術しなければいけないとの事。1回目の手術が終わってしばらくは順調でしたが、経過観察の途中で再剥離が見つかり、急遽予定外の追加手術をする事になりました。更なる剥離を防ぐ為に眼球にベルトを施して貰いました。この手術は4時間に及び、私の人生で一番痛い経験となりました。

その後の経過観察を終え、入院がだいぶ長くなった為一旦44日目で退院する事になりました。症状が軽い人なら手術は(眼球にはガスを注入し、そのガスは自然に抜けて行くので)1回で済み、10日~2週間で退院となります。私は症状が重かった為眼球にはシリコンオイルが注入されており、この後再び入院し、シリコンオイルを抜いてもらう為の3回目の手術を受けました。入院は合わせて64日と思いがけず長くなり、結果として右眼の視力はほぼ失う事となりました。しかし怪我の状態は修復してもらいましたので、現状を受け入れてやって行きます。今後も定期的な通院と、毎日数種類の目薬さしは続きます。

世の中には麻酔で眠っている間に終わるみたいな手術もあるのか無いのか私にはわかりませんが、今回実感したのは、手術は患者本人が頑張らないといけないのだなあと言う事。部分麻酔で手術中先生から「上を見て。」「右を見て。」などと指示されますのでずっと起きています。私は勇気をくれる誰かの言葉や映画のシーンなどを思い浮かべながら、「先生方は治してくださっているんだ!お前も頑張れ!」と自らを鼓舞し、よく耐えたなと思います。最後に本音を。正直、やらずに済むなら二度とゴメンです^^ 

備忘録を兼ねて記しておきたくなりました。イラストは2020年作「きらら」。

雨B_pixiv用
一昨年(2019年)のゴールデンウィーク前に発症した顔面から頭皮にかけての帯状疱疹は、その後2年近く
経った今も後遺症の治療を続けているのですが、そんな折病院から突然電話があり、治療を担当していただいていたI先生が事故でお亡くなりになったとの知らせ。「ええっ?!」...絶句しました。この2年近くでかなりの痛みを取り除いてくださり、近頃は随分痛みが軽くなった事を伝えると先生の声のトーンも軽くなり、その声を聞いて私も嬉しくなっていたものです。まだかなりお若く、つい先日言葉を交わしたI先生がもういないなんて、信じられない気持ちです。詳細は分かりませんが、せめて出来る限り苦痛の無い形で旅立たれた事を願うばかりです。人の苦痛を取り除く事に尽力されていた方にどうしてこんな運命が訪れるのでしょう。やりきれません。私は一患者に過ぎませんが、本当に本当にお世話になりました。本当に本当にありがとうございました。I先生、どうか安らかに眠ってください。
今の思いを綴っておかないと何をやっても気持ちが向かないので記しました次第です。

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